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宇野千代きもの、小紋、草木染、藍染等、埼玉県熊谷市の着物(きもの)染色工房

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伊東の別荘

昭和45年、完成したばかりの青山二郎先生の伊東の別荘と青山先生です。

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当時としては斬新なデザインです。
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昭和38年以降青山二郎先生は高級マンションのはしりといえる原宿のビラビアンカの二軒をつなげた大きなマンションに住んでいました。しかし、戦争中疎開していた伊東が友達もたくさんいて懐かしかったようで、伊東市川奈の海の見える高台に別荘を造りました。青山先生らしくとても凝った建築で時間もお金もかけた家でした。お風呂も温泉のような大きな浴槽で、お湯を沸かすのに数時間かかると言う実用的家ではなかったようですが、そこで夏には焼き物に囲まれて暮らしていたようです。写真は完成したばかりの別荘に宇野千代先生と伺ったときのもので、庭はまだ工事中のようです。

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一日一万歩

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昭和40年頃の宇野先生の自宅での写真です。昭和53年に鉄筋のビルに立て替える前の瀟洒な木造の家です。きものの会社の新年会でしょうか。先代が買ったばかりのニコンのカメラで撮った写真です。現在と違って写真に日付がないのが残念です。当時、きものの会社「宇野千代きもの研究所」は隣にあった先生の妹の勝子さんの家の2階に間借りしていました。写真先生の後ろの机には広辞苑とよく削った鉛筆が沢山入った筆箱が見え、画面では切れていますが、尊敬していたアランの肖像画(複製)が立ててあります。右端に少し見えているのが中村天風師の掛け軸です。宇野先生はこうしたたくさん人を集めたおもてなしが大好きでした。

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下の写真中央いちばん奥の金屏風の前の女性は藤江敦子さんです。この部屋は6畳くらいの畳の部屋で私も何度か伺った記憶があります。この頃には先生は毎日1万歩あるくのを日課としていました。先生は几帳面な性格でしたから万歩計は使わずに、「ひうふうみい」と指を折りながら100まで数えると石を並べるという丁寧な数え方で、このさほど広いとは言えない自宅の部屋を毎日ぐるぐると何周もして1万歩あるいていたのす。その後、那須に別荘を建てたときには部屋をぐるりと取り囲んだ広い廊下つくり、毎日颯爽と歩いていた先生を懐かしく思い出します。

宇野千代小紋「春風」

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先日NHKテレビのスタジオパークに山本陽子さんが宇野先生の付け下げ「迷路切り取り」臙脂地を着て出演されていましたが、今回は立春も過ぎたので小紋「春風」をとりあげます。これは古くからある宇野千代小紋です。もとの型紙はぼろぼろになったので新しく作り直しました。東郷青児さんが描くような抽象的な木の葉が春風に舞い落ちています。昔はこの柄をよく白地に染めていました。地色はパールグレー地にして彩色は東郷青児流の色使いで、ブルーの染め分けと胡粉にしました。宇野先生がスタイル社倒産お後再び銀座に小さなお店を持ってすぐ、ショーウインドにこの小紋をかける度にあっと言う間に売れてしまったそうです。一つ一つの文様を丸刷毛でぼかしていくため手間がかる小紋でなかなか注文に間に合わず苦労したと先代が話していました。当時まだ子供であった私ですが工房でよくこの小紋を染めていた記憶があり懐かしい小紋です。

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