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宇野千代きもの、小紋、草木染、藍染等、埼玉県熊谷市の着物(きもの)染色工房

宇野千代先生との出会い

宇野千代先生と横田伊三郎

               宇野千代先生と横田伊三郎(昭和63年工房にて)
早いもので今年の6月で宇野先生の13回忌となりました。先生が長年住み慣れた青山の梅窓院には分骨したお墓があるので法要は梅窓院で行われました。
宇野先生と私の工房との出会いは昭和33年にさかのぼります。そのころ工房3代目の横田伊三郎は東京の染織家長谷田桐翠氏と親しくしておりました。長谷田氏が宇野先生のスタイル社の注文を請けていたことから、長谷田氏の紹介で宇野先生のきものの染色を始めることとなったのです。宇野先生のデザインは色使いに特徴があって、先生の気に入る配色にすることにしばらく苦労したようでした。
ようやく先生の色使いにもなれはじめた頃、昭和34年4月にスタイル社は脱税の摘発や放漫経営もあって倒産してしまいました。工房もその頃は手形決済でしたので、仕事を始めてから1円の現金も入らぬまま、多額の未収金が残ってしまった。
その当時スタイル社の新入社員で、宇野先生のきものの会社を永く背負っていくことになる高橋貞夫さんが昔話しにその頃のことを「どこへ行っても怒られて、ひどい扱いだったけれど、横田さんの所ではお昼に鰻をだしてくれた。とっても嬉しかった。」とよく話していました。それからは、先生のきものの会社の社員の中では「熊谷は鰻の美味しい所」というのが評判でした。
倒産の後、宇野先生は文筆で得たお金で白生地を1反買って新しいデザインの小紋を染めました。斬新な小紋はすぐに売れ、すぐまた生地を仕入れ、1反が2反、2反が4反としだいに扱う数が増えて工房にも多くの注文がくるようになりました。数年で先生の小紋を扱うお店も銀座のお店や一流のデパートとふえて、きものデザイナーとして成功したのでした。
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