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宇野千代きもの、小紋、草木染、藍染等、埼玉県熊谷市の着物(きもの)染色工房

熊谷桜について

クマガイザクラ
                2007年3月8日(工房にて)

歴史ある桜
桜の種類はいったいどれくらいあるのでしょうか。現在、結城市にある(財)日本花の会結城農場には300種の桜が保存されています。桜は江戸時代中期から飛躍的に種類が増え、江戸時代末期にはすでに230種以上の桜の名前が記録されていました。ですから、現在ではかなりの種類の桜が存在しているはずです。
桜の繁殖が盛んになる前、江戸時代初期にはまだ桜の種類はとても少なかったようです。那波道円が正保4年(1647)に著した「桜譜」には15種の桜が記され、水野元勝が寛文4年(1664)に著した「花壇綱目」には36種と少し増えています。そのどちらにも熊谷桜の名前が載っています。さらに遡って、慶長十年(1605年)醍醐寺第80代座主の義演准后(ぎえんじゅごう)は二月四日の日記の中で「彼岸八重桜くまがへと云う也 悉開了」と記しています。ですから熊谷桜という名の桜が早咲きの八重桜として古くから存在していたといえます。
貝原益軒が 宝永5年(1708)に著した「大和本草」では「熊谷桜 高さ尺に過ぎずして花さく、長して四五尺に過ぎず、彼岸桜に先立ちて八重の好花ひらく、枝のかたちは桜に似て彼岸桜には似ず、桜のさきがけ也、別種なり、花色白くして少紅を帯びたり」としています。宝暦8年(1758)発刊の松岡怡顔斎「桜品」には簡単な絵とともに「熊谷と名付ける事熊谷直実と平山武者所と一ノ谷の魁せし儀をとりて名付也」と名付けられた由来が記されています。
幻の桜
多くの桜が幕末期の混乱で失われてしましました。熊谷桜もその一つで、幻の桜となってしまったのです。三好学は昭和14年の桜の会編「桜」第二十号で「熊谷桜に就て」という題で「文献に徴すれば、熊谷桜は早咲きの八重彼岸桜にして、花弁二出、花心より葉化雌蕋出たるものなるを知るべし。先年来地方より送来れる桜の標本の中にも右の特徴の該当するものありたれば、熊谷桜は現存するや疑いなし。」と記しています。

   

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