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宇野千代きもの、小紋、草木染、藍染等、埼玉県熊谷市の着物(きもの)染色工房

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「青山二郎の眼」展

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青山二郎さんについて書かれた本は宇野千代さんの「青山二郎の話」が昭和52年に、白州正子さんの「いまなぜ青山二郎なのか」は平成3年に出版され、別冊太陽「青山二郎の眼」が出版されたのは平成6年でした。そのころから青山先生を知る人は着実に増え、「青山二郎の眼」展がMIHO MUSEUMで開催されたのは平成18年9月1日からでした。この展覧会を企画したのは白州正子さんと小林秀雄さんの孫に当たる白州信哉さんでした。
MIHO MUSEUMの後、平成19年1月26日から3月4日まで愛媛県美術館で、4月6日から5月13日までは新潟市美術館、6月9日から8月19日まで世田谷美術館でと全国4ヶ所で開催されました。
私は世田谷美術館のオープニングに行きました。自動電話箱や紅志野の香炉など初めて見るものや、「たんぽぽ」などヴィラヴィアンカで手に取った懐かしい名品が並んでいました。

青山二郎の眼

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別冊太陽「青山二郎の眼「が出版されたのは1994年でした。青山先生が亡くなったのは79年ですから亡くなって15年してからの出版でした。天才的な目利きであると知っている人は以外に少なく、知っていても青山先生の文章も生き方も難解で理解するのが難しいため時間がかかったと言うことなのでしょうか。宇野先生の「青山二郎の話」や白州正子さんの「今なぜ青山二郎なのか」が出版されて、青山先生のことを知りたいと思う人が増えたことがこの本の誕生につながったといえます。
この本の構成は青山先生を研究している青柳恵介さんですが、陰の構成は青山先生と長く暮らしていた奥さんの和子さんといえます。白州正子さんが青山二郎の最高傑作と言った和子さんなしにこの本は出来なかったといえます。写真の配置にしても青山二郎直伝の和子流があり、ビラビアンカで青山先生にの指示に従って奥の部屋から骨董を運び、丁寧に箱から出していた和子さんを思い出します。
この本の誕生がその後の「青山二郎の眼」展につながっていきます。

伊東の別荘

昭和45年、完成したばかりの青山二郎先生の伊東の別荘と青山先生です。

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当時としては斬新なデザインです。
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昭和38年以降青山二郎先生は高級マンションのはしりといえる原宿のビラビアンカの二軒をつなげた大きなマンションに住んでいました。しかし、戦争中疎開していた伊東が友達もたくさんいて懐かしかったようで、伊東市川奈の海の見える高台に別荘を造りました。青山先生らしくとても凝った建築で時間もお金もかけた家でした。お風呂も温泉のような大きな浴槽で、お湯を沸かすのに数時間かかると言う実用的家ではなかったようですが、そこで夏には焼き物に囲まれて暮らしていたようです。写真は完成したばかりの別荘に宇野千代先生と伺ったときのもので、庭はまだ工事中のようです。

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たんぽぽの茶碗

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青山二郎先生が晩年まで愛した茶碗がもう一つあります。青山先生の評価は「ととや」に勝るとも劣りませんせした。その茶碗が「たんぽぽ」です。小ぶりの絵唐津で、青山先生が山陰で手に入れたものです。写真から分かるようにたんぽぽの綿毛のような絵が描いてあり、「たんぽぽ」の名は青山先生の命名。箱書きには「銘つみかこ」となっています。小ぶりの唐津ですが、見た目より重い茶碗です。底が厚く、盛り上がりがあって今にも爆発寸前といった茶碗です。普通に言えば失敗作とでもいえるもので、先生は「おじいさんと孫が一緒に作ったに違いない」と言っていました。とても面白みのある茶碗で、高台も見事です。先生はよく「日本一の薄茶の茶碗だ。」といっていました。名品を見尽くした青山先生だけが言える言葉です。通人好みの茶碗でしょうか。

ととやの茶碗

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青山二郎先生の愛好した骨董は数々ありましたが、晩年もっとも珍重したものの一つが「ととやの茶碗」です。ととやは魚屋とか斗〃屋とも書く李朝の茶碗で、名称の由来は堺の豪商魚屋(渡唐屋)が朝鮮から取り寄せた事からとか、利休が魚商の店頭で見出したとか諸説あります。

 他のととや茶碗と異なり、井戸茶碗を思わせるような大振りな姿で薄い釉薬がかけてありビワ色の肌の中に青色の窯変があります。全体に多くのつぎはぎがあります。この茶碗の割れたいきさつは別冊太陽「青山二郎の眼」の中で白州正子さんか詳しく書いています。堂々たる形は見る人を圧倒します。
この茶碗は元々は島津家伝来の品で箱書きはかの斎彬公。島津家から家臣の小森家へと伝わり、小森氏から壺中居の広田煕氏へ、広田氏から青山先生へと移ってきたという茶碗です。一昨年9月から昨年8月まで全国4美術館で開催された「青山二郎の眼展」にもこの茶碗は出品され、数ある名品の中でもひときわ目を引く存在でした。

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