宇野千代きもの、小紋、草木染、藍染等、埼玉県熊谷市の着物(きもの)染色工房

ととやの茶碗

totoya 

 

青山二郎先生の愛好した骨董は数々ありましたが、晩年もっとも珍重したものの一つが「ととやの茶碗」です。ととやは魚屋とか斗〃屋とも書く李朝の茶碗で、名称の由来は堺の豪商魚屋(渡唐屋)が朝鮮から取り寄せた事からとか、利休が魚商の店頭で見出したとか諸説あります。

 他のととや茶碗と異なり、井戸茶碗を思わせるような大振りな姿で薄い釉薬がかけてありビワ色の肌の中に青色の窯変があります。全体に多くのつぎはぎがあります。この茶碗の割れたいきさつは別冊太陽「青山二郎の眼」の中で白州正子さんか詳しく書いています。堂々たる形は見る人を圧倒します。
この茶碗は元々は島津家伝来の品で箱書きはかの斎彬公。島津家から家臣の小森家へと伝わり、小森氏から壺中居の広田煕氏へ、広田氏から青山先生へと移ってきたという茶碗です。一昨年9月から昨年8月まで全国4美術館で開催された「青山二郎の眼展」にもこの茶碗は出品され、数ある名品の中でもひときわ目を引く存在でした。

時代付けの茶碗

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            青山二郎時代付け茶碗
青山二郎先生はこれといった職業を持たなかった人でだったので、自由な時間がたっぷりありました。宇野千代先生の「青山二郎の話」や別冊太陽「青山二郎の眼」(1994年10月刊)にのっていますが、青山先生はたっぷりある時間を使ってよく新しい陶器の「時代付け」をしていました。陶芸をはじめて少しすると多少は先生の眼にかなったものが出来るようになりました。先生のマンション「ヴィラ・ヴィアンカ」に伺って批評していただき、帰るときに「これを置いてゆけ。」と、はじめの頃は「ぐい飲み」を、もうしばらくすると茶碗にも声がかかり置いていくようになりました。数ヶ月して先生のマンションにいくとぐい飲みが数個きれいな陳列棚に飾ってありました。古そうなぐい飲みがあるなと思っていると、先生が少しニヤニヤしながら「おまえの作ったぐい飲みだよ。」と言われたのでした。よく見ると確かに見覚えのある形でしたが、かんにゅうに茶渋が入り雰囲気のあるぐい飲みになっていました。それから家に帰って教わったように時代付けをしてみましたがなかなかうまくいきません。時代付けはとても時間がかかり難しい作業だったのでした。
写真の茶碗は先生の時代付けをした私の作品で「最近茶碗の高台が良くないぞ、これをよく見ろ。」と先生が奥の部屋から出してきたものでした。「参考にするから、持って帰ります。」と無理矢理持ち帰ろうとすると、先生はなかなかもいいとは言いませんでした。奥さんの和子さんが取りなしてようやく持ち帰ったものです。それでも先生はとても残念でならないと言うそぶりでした。それもそのはずで、この茶碗の時代付けにはどれほどの時間がかかったかを考えると納得出来ます。今となっては先生の形見のような茶碗で、和子さんもいない今となっては懐かしい思い出です。

青山二郎先生との出会い

青山二郎
               青山二郎先生(昭和42年那須宇野邸にて)

宇野先生の家に伺うと先生はいつも古くすすけた大振りな八角形の湯飲みでお茶を出してくださっていました。それまで先代伊三郎は京都の問屋の仕事もしていて毎月のように京都に行っていて、時々その頃新進の陶芸家であった清水卯一氏の家に行ったりもしていました。だから陶器に全く興味が無いわけではなかったのですが、骨董というような古いものには全く知識がありませんでした。
ある時先生は先代に「横田さんはきもののことが分かっているつもりでしょうが、陶器のことも分からないできものが分かるはずはないのよ。」といわれたのでした。「では、私に陶器のことを教えてください。」というと先生は、「私には教えられないから、青山二郎を紹介するわ。」といって、すぐに電話をかけて青山二郎先生の原宿のマンションに連れていってくれたということでした。それから先代は青山先生のお宅や美術館に足繁く通いました。数年して青山先生に「横田、焼き物を作ってみないか?」とすすめられ。自分で陶芸をはじめることにしたのでした。当時はちょうど日本陶芸クラブなどが始まった頃で、アマチュア用の陶芸用具が発売されはじめた頃で、一通りの道具をそろえて家族中で陶器を作りはじめました。焼き上がると青山先生のマンションにいき批評していただくようになりました。
私も先代とともに青山先生のマンションにいくようになり、先生のコレクションをだして手にとって教えてくださいました。当時、青山先生は東京オリンピックの高速道路用地買収で多額の補償金が入った後で、2軒分をつなげた広いマンションに買い集めた多くの名品に囲まれて暮らしていたのでした。今思うと、若くして考えられないような名品を手にとって見ることが出来たのはこの上ない幸運でした。宇野先生の言うようにきものの染色にも大きな力になっているように思います。

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